2012年9月28日金曜日

国際共通語としての英語


鳥飼玖美子さんが書かれた『国際共通語としての英語』という本を読みました。

本全体も興味深かったのですが、
特に「これからの英語と私たち ― まとめに代えて」という章の
コミュニケーションと言葉についての文章が印象深かったので、一部抜粋して紹介します。

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「コミュニケーション」とは、つまるところ「他者との関係性」です。自分と、自分とは異なる存在とが、共に関係を構築するのが、「コミュニケーション」です。単なる伝達の手段ではないし、日常会話の域にとどまるものでもありません。

(略)

「言葉」は、人間の心です。言葉は思想であり、文化であり、人間そのものです。

(略)

外国語を使うとは、異質な他者を相手に異質な言語を精一杯使って果敢に関係構築を試みるのだから、簡単なわけがない、と腹をくくるべきでしょう。
そこを誤解しているから、コミュニケーションは単なるスキルだ、英語は道具だ、などと甘く見てしまうことが多く、だから英語学習が成功したように思えないのではないでしょうか。

(略)

英語が一つの言語であるからには、血の通った生き物であって、自転車を習うようなわけには行きませんよ、ということなのです。

(略)

英語はたかが道具だ、と軽視する人ほど、日本語は微妙なニュアンスがあって特別に難しい、などと言います。しかし、特別に難しい言語など存在しません。これは現在では当然として認められている言語相対主義の知見です。どの言語も独自の言語世界を有しており、難しさが違うだけで、それぞれに難しいのです。英語もそうです。婉曲な表現もあれば丁寧語もあり微妙なニュアンスもふんだんにあります。英語はストレートな言語だからラクだなどと言う人は、そのレベルの英語しか知らないでいる、というだけのことです。
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なぜこれらの文章に共感したのかというと、ずっと昔
「英語はツールだからまず仕事をしっかり覚えろ」と言われたことがあり
(おそらく深い意味はなく、単なる激励だったのですが)
当時からなんとなく違和感を感じていました。

1つは、私は言葉そのものを仕事にすることを目指しているのであり、
普通の仕事で意思疎通に英語を使うのとは状況が違う、と思ったこと。
もう1つは、言った人ご自身が、そのツールを使えているのかな?という
疑問があったこと(生意気にも…)が理由でした。

その後も「言葉はツール」というフレーズはときどき耳にしてきましたが
「翻訳者・通訳者の場合は違う」と考え、
一般的にはそうなのかもしれないと思っていました。

ところが、鳥飼さんはきっぱりと言います。
言葉は単なるツールなどではない、と。
なので、ブンブン頷きながら読んでしまいました。

(追記)

「言葉はツール」というフレーズは、よく考えずに言っていることもあるだろうし、「手段が目的化しないようにしなさいよ」という意味を込めて言うこともあると思います。確かに、言葉を勉強することがなんだか楽しくなってしまって(あるいは強迫観念にかられて?)没頭し、結局何がしたいのかわからなくなる、ということはありますよね。必ずしも「甘く見ている」のではないのでしょうし、その人の意図する「道具」の意味にもよりますが、このフレーズを一度疑ってみようという提案は強く共感できるものでした。




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