2010年1月31日日曜日

帰国しましたー

木曜日に、無事に帰国しました。

帰ってきてみると・・・広島寒い!
風通しのよい和の家ではなおさら・・・です。
どうして、こんなに、脱衣所が、お風呂が、寒いの~?
そして、コップ小さい!
エスプレッソカップか?と思ってしまう。

いい点は、ごはんが、おいしい。
おさしみが、おいしい。
ヘアサロンに行ける。
本屋さんをぶらぶら。
もののけ姫が録画してあったので観た。

3ヶ月間でも、わりと逆カルチャーショックが楽しめます。

今月は、家探しと式場探し。
本格的に結婚の準備が始まります・・・
B氏はまだアメリカなので、私がほぼ勝手に決めるのだけど
すでに半分マリッジブルーです・・・

どうして、こんな楽しそうなことが、ゆううつのタネに
なったりするのでしょう。
ああー どうか、応援してください。

2010年1月29日金曜日

カリブ海 7日目 (最終日)

12月30日、到着してから7日目の午後に島をでました。
フェリーでセントジョン島からセントトーマス島に渡り、空港へ。

怪しい空模様・・・と思っていたら
雨が降り始め、霧もでてきて、空港に着くころにはちょっとした嵐に。
あんな小さい飛行に乗るのに、よりによって・・・と
へこみながらチェックイン。



待っている間も、風と雨と霧はおさまりそうにありません。
どうやら、こちらに向かっている飛行機が着陸できないらしく
欠航や延期の便がでてきました。

出発ロビーは人でいっぱいに。


私たちの乗る便も遅れることになり、もしかしたら欠航かもという情報が・・・。

天候のせいで飛行機が遅れた場合、航空会社は補償をしてくれません。
タクシー代もホテル代も自分持ち・・・
ここの空港は夜になると閉まってしまうため、もし飛べなかったら
ホテルを探さないといけません。
飛べても、この雨風のなか8人乗り飛行機・・・
どんどんテンションは下がるものの、何もできることはないので
おとなしく待ちます。
文句を言い始める人が続出。担当のお兄さんを困らせても仕方ないよ、おじさん・・・

出発予定の4時から、待つこと数時間。
8時ごろになって、私たちの乗る飛行機が着いたとの情報。
よろこぶべきなのか微妙なところだけど、乗るしかないので飛行機へ。
来たときと同じ8人乗りです。

飛び立つとき、周りの人の会話から、副大統領が島に来てることが判明。
エアフォース2、というんでしょうか。
The United States of America と機体に描かれた専用機がちらっと見えました。

離陸時・・・ か  な  り 揺れました。おそろしかった~
写真をとる余裕はありませんでした。。
ときどき揺れながら、プエルトリコ・サンワンに到着。

もちろん、次の乗り継ぎ便は飛び立った後なので
空港で朝まで待ちます。
午後11時ごろの空港のようす。ガラガラ。
ひじかけのない椅子を探し、ここで仮眠しました~。


置き去りにされた荷物があって、
空港警備員が犬を連れてきて検査する場面にも出くわしました。
今回の旅行は、いろいろ変わったことが多い。

小さな子ども連れの家族もいて、子どもたちは
空港をひとりじめできるのが楽しいらしく、走り回ってました。

そんなこんなですが、朝7時ごろやっと次の飛行機に席を確保し
家に向かいました。ついたころには、クタクタ・・・
でも、島はとてもきれいだったし、初めてのベンの家族との旅行は
とっても楽しかったです。一生の記念になりました。

いつか、自分たちでまた戻ってきたい。

2010年1月24日日曜日

カリブ海 6日目

6日目は、ベンの妹が帰る日でした。
ボーイフレンドとニューヨークで新年を迎えるべく、空港に向かうキャサリン。
なんてゴージャスなクリスマス&新年なの・・・



ちなみに、話がとびますが、私たちがセントジョン島にいる間に
デトロイトの爆弾未遂事件が起きました。
みんなの反応は、「爆弾が怖い」というより
「またセキュリティが面倒になるのかよ・・・」というもの。
ま、確率でいえばそうだよね・・・

さて、キャサリンを見送った後、我々は島全体をドライブしました。
この写真だけ見ると、瀬戸内海みたい?




ベンのお母さんの提案で、島に住むアーティストのお店にも行きました。
カラフルな洋服や、アクセサリーなどなど。





ドライブの途中で、マングローブを発見。
曲がりくねった幹(根?)が伸びている・・・かなり感動しました。



道のど真ん中で、くつろぐロバたち。のんびりしています。
車が通っても、こわがるようすもなく。



明日は、私とベンも帰路につきます。
どんな、オソロシイ旅が待ち受けているかも知らず・・・

写真は少ないけど、私たちの災難については次回。



2010年1月21日木曜日

ハイチ地震への寄付

長野時代の友達の妹さんが、6か月ほど前までハイチで働いていました。
たしか、国際協力機関だったと思います。

そして、医師である彼は今もハイチにいて、なんとか助かり
この混乱の中で、人命救助のために奔走しているそうです。

ハイチは貧しい国です。経済的に豊かな国での地震とはまた違った、
そして、おそらくもっと悲惨な状況が待ち受けています。

日本政府の対応に不満を感じたり、悪化する状況を伝える
ニュースを見守ったりするばかりで、何もできないでいましたが
彼の働く医療機関に100%届けられる寄付金を募集していると聞き
私も微力ながら参加することにしました。

以下、許可を得て転載します。転記、転載自由です。

-----------------------------------------------------------------------------------
GHESKIO - Haitian Group for the Study of Kaposi's Sarcoma and Opportunistic Infections

ゲスキオ(GHESKIO 訳:感染症母子保健研究所) は世界でもほぼ初めてHIV/結核患者を専門に治療するために開かれたクリニックで、ハイチ人医師たちによって1982年に開設されました。

以来、ほぼ保健省が存在しないハイチ国内において(あるいは公共サービス自体が存在しないと言った方が的確かもしれません)、感染症診断と治療を提供する機関として、国内・国外からの信頼を集めてきました。

HIV
患者であることを隠したがるハイチ国民の信頼を得ることは容易ではありません。それでもゲスキオの現地の文化や考え方を理解した活動が実り、2006年には14万人、2007年には16万人の訪問患者数を記録するに至っています。

ゲスキオの二つのクリニックは、今回被災中心地となった首都ポルトープランスに位置していて、被災者300万人とも言われている今回の地震のまさに中心地に建っています。地震で二つのクリニックは大きな損害を受け、特にダウンタウンにあるクリニックは、建物を囲う壁が全壊し、一部の建物は危険で使えない状況になっています。

それにも関わらず、アメリカのコーネル大学所属医師で且つ、ゲスキオの所長である ハイチ人Dr Pape (パップ医師)は、被災から3日目の15日、既にクリニックを再開することを決定しました。

パップ医師自身、被災し、ひざにコンクリートの塊が落ちてきて怪我をしているものの、彼のリーダーシップと、医師として被災者を治療すべきとする信念は、希望を失いつつある近隣住民の頼みの綱となっています。

海外からの援助が少しずつは入ってきているとは思われるものの、どこでどのように患者の対応をしたらいいのか分からず空港で立ち往生しているとも聞いています。一方でゲスキオは首都の中心地に位置し、30年近い歴史と信頼を得てきたクリニックです。ゲスキオの再開を聞いて、既に患者が押し寄せています。またゲスキオクリニック内の空き地に、1000人以上の患者がテントを張って被災している状態です。

ゲスキオでは、一部の医師やその家族の死亡が確認されており、クリニックの医師・看護婦全員が被災者です。それにも関わらず、今回クリニック再開を決断したことは驚くべきだといえます。

しかし、薬はおろか、未だに電気、水等の最低限のインフラが全く整っていない状況であり、緊急の資金援助が必要となっています。

この援助は、まさに今日・明日、首都でどれだけの人の命が救えるかに関わっています。500円で1000円でも、何人の人の命が救えるか分かりません。 日本政府の今回の地震に対する反応は残念ながらあまりぱっとしません。でも、ハイチは地球の反対側、日本にとって政治的にあまり価値のない国なので仕方ないのかもしれません。

でも政治と、同じ人間の命の価値は全く別物のはずです。同じ世界にある国で、人口900万人の三分の一が被災し、もしかしたら50万人が死亡するかもしれないといわれています。

どうか、ゲスキオに貴重な援助をお願いします。
募金は、ゲスキオと技術協力をしているコーネル大学が窓口となって募集しており、資金は直接ゲスキオに送金されます。


募金窓口コーネル大学 URL:<http://www.med.cornell.edu/globalhealth/>
GHESKIO URL:<http://www.gheskio.org/>



-----------------------------------------------------------------------------------

カリブ海 5日目

5日目。

この家は、歩いて海岸に出られるようになっています。
散歩に出たベン&キャサリン兄妹をキャッチ。



大きな石がゴロゴロしていて、泳ぐのにはあまり向かないけど

散歩で海岸に行けるなんて・・・しあわせ。
岩の上には、ときどきイグアナがいるらしい。

ここにきてから、他のみんなは何度かイグアナを目撃していたけど
私はまだ見ていなくて、帰るまでにはぜひ対面したいと思っていました。

そしたら・・・! 出た!イグアナ。



人生初の、リアルイグアナ。
怖がらせないように、そーっと近寄って写真を撮りました。
わしわし歩いて、去っていくイグアナ。見えるかな?






他のみんなはビーチに出かけていたけど、家にいて良かった・・・!

夕方、夕焼けをみながらハンバーガーを食べよう
ということになり、ビーチ組と合流。
1組の結婚式があって、遠くから見守りました。



夕焼けはどこにいても、楽しみなことの1つ。
雲が少しあって、いろんな色に染まるやつが好きです。



明日は、キャサリンが帰る日。明後日は、私とベンが帰る日。

でも、帰る日のことはあまり考えず、楽しもう。と思いました。
続く

2010年1月20日水曜日

カリブ海 4日目

25、26日と、泳いだりして遊び疲れたので
27日は、各自好きなことをして過ごすことに。

家で本でも読もうか・・・と思っていたのですが
ベンの妹のキャサリンが買い物に行きたいというので
付き合うことにしました。ベンは家で読書。

フェリーに乗って、お隣の島セント・トーマスへ。



セントトーマスの、シャーロット・アマリーというショッピングエリアへ。
テントのマーケットから、高級宝石店まで
いろんなお店がわりと狭いエリアに集まっています。



 大きな客船がある・・・



いい感じのカフェを発見。
狭い路地がたくさんあって、探検しているような楽しさがあります。



疲れを忘れて、歩きまわりました。
来てよかった~。

雨が降りそうなタイミングで、おひるごはんにしました。
↑のカフェは高そうなので(笑)、なんだかおいしいものを出しそうな
路地のカフェに移動。




ワカモレ&トルティーヤ。アボカド大好き


チキンカレー?
揚げバナナ?と、正体不明のイモ?も添えてある。
全部ハテナでごめんなさい・・・

おいしかったです。地元のビールも飲みました。
キャサリンはいつも、フローズンカクテルを頼んでますが
それもおいしかった。ラム酒を使ったものが多くて、ラム酒が好きなのでどれも美味。

食べ終わったころは雨も上がっていたのですが
日曜日のためか早くもお店が閉まり始め、フェリーの時間もあるため
早々に帰路につきました。

猛スピードで山道を走る、トロリータクシーに乗ってフェリー乗り場へ。
たぶん、怖がっていた飛行機なんかよりも
この乗り物が一番危険だろう・・・
トロリーなので、オープンなんですよ。滑り落ちそうだった・・・

無事に帰宅して、ゆっくり休みました。

続く。


2010年1月19日火曜日

カリブ海 3日目

朝、滞在している家に、とかげくんが登場しました。
普段は、爬虫類なんて大の苦手なのですが・・・この背景だとかわいらしい。 



さて、今日はサプライズとしてベンの両親が
シュノーケリングツアーを計画してくれていました。
マリン・ナチュラリスト・・・という、よくわからない肩書をもつ
キャプテン・フィルさんの案内でボートへ。天気は、快晴です。





シュノーケリングははじめてだったので、いろいろ説明を受けます。
簡単そうだと思っていたけど、注意することがいくつかあるのです。



そして・・・ようやく、海へ。
ボートで酔いかけていた私は、このときを待ちわびていました。

気持ちいい・・・そして、魚がいっぱい。



サンゴや、いろんな色の魚がいました。
ダイビングが趣味の友達に見せてもらった写真の印象が
頭に残っていて、ちょっと期待が大きすぎた感はあるけど・・・とっても綺麗でした。

その後、「フィッシュ・トラップ」という、とれたての魚を出すレストランへ。

このあたりで生産されているラム酒とフルーツを使った
ピニャコラーダやダイキリなどのフローズンドリンクをみんな注文して
楽しい夜を過ごしました。



だいぶ、運を使っている感じですが、まだまだ続きます。
お付き合いあれ・・・

2010年1月16日土曜日

カリブ海2日目(12月25日)

2日目は、12月25日クリスマスです。

前の晩に到着したとき、普段はもっと静からしい
フェリー乗り場のまわりでは、音楽が鳴り響きお祭りモード全開でした。

そうでもなければ、クリスマスだということを忘れそうな28度。
夜中に降った雨もあがり、晴れてきそうな空模様なので
早速ビーチに行くことになりました。



トランク・ベイという、わりと小さな、白い砂のビーチ。

これがもう・・・水が・・・水色(笑)。
うすーい水色で、プールみたいでした。
今まで泳いだ海の中で、いちばん綺麗。
そして砂が・・・さらさら。細かくて、立ってると沈んでいきそうだった。


ときどき、ペリカンみたいなくちばしの大きな鳥がダイブして魚をとっていたり
魚の群れがすぐそばをざざざーっと通っていったり
あらゆることが新鮮でした。

まわりは林で、なんだかわからないけど
トロピカルフルーツコーナーでみたことのありそうな実がいろいろ。
なんでしょうね、これ?↓



夕方には借りている家に戻りまして、
ビールを手に夕焼けをみる・・・というシアワセな時間を過ごしました。

↓この雲が鳥にみえる!と盛り上がりました。しかも2羽いる。






続く♥

2010年1月15日金曜日

カリブ海 1日目


1日目は・・・ほとんど移動でした。
朝早く起きて、タイラー → ヒューストン → サンフアン (プエルトリコ) → セントトーマス島
と飛行機を乗り継ぎ、さらにタクシー、フェリーを乗り継いでセントジョン島へ。

毎回、飛行機が揺れたと言っている気がするけど、
ヒューストン便はこれまでで一番だった。
着陸態勢に入ってから、ガクガク揺れてダッシュボードに乗ってたものがハネました。
でも、フライトアテンダントは全く動じず、退屈そうに座ってました。さすが・・・

サンフアンに到着するときは、「プエルトリコ!」と思って
窓の外をじっくり観察。外国の感慨がありました。
乗り継ぎであっというまに去ってしまったけど、街を歩いてみたかった。

さて、メインイベントは、サンフアンからセントトーマス島への便。

ボーディングパスがスーパーのレシートみたいな紙切れ。
チェックイン時に体重を聞かれた。
出発時間になると、乗客ひとりひとりの名前を呼んで整列させ
人数を数えている。
おお・・・これは。と思っていたら、やはり。

8人乗り?くらいのちいさなちいさな飛行機。
チケットには「non-jet equipment」と書いてあって、なんのこっちゃと
思っていたけど、プロペラ機というんでしょうか・・・
とにかく、ジェット機ではないのです。




ちょっと怖気づいていたけど、係員さんが私をちらりと見て
「君。パイロットの隣に座って」と言う。
「は?パイロット?」
「身長と体重で決めるんだ」
「はあ」




なんと、パイロットの隣(つまり、普通は2人パイロットがいるわけで
操縦席です・・・)に座らされた私。
飛行機ファンでも何でもないけど、これは結構テンションあがります。
計器の数々。目の前は当たり前だけど窓。
いつもと違うシートベルトを締め、パイロットからいろいろ注意事項をきいて
30分間のフライトに出発しました。

多少は揺れたのかもしれないけど、ワクワクの方が勝って
ちっとも怖くはありませんでした。
夜で曇っていて、視界が悪かったのは残念だったけど
とっても貴重な体験をさせてもらいました。

ここから、非常にのんびりしたタクシードライバーや
クリスマスイブのためか、乾杯して大騒ぎしているフェリー乗組員と
付き合いながらやっとセントジョン島へ。




楽しい楽しい、クリスマス休暇の始まりです。

2010年1月14日木曜日

ハイチとヴァージン諸島の位置関係

地震のニュースに驚き、救助活動の進行を見守っている方も
多いのではないでしょうか。

旅行に行っていたヴァージン諸島からも近く、影響が気になります。


大きな地図で見る

島であるということは、輸送や人の移動が
想像以上に難しいんだというのを、旅行で感じたばかり。

日本には何ができるんだろう。何をするんだろう。

友達の妹さんが、このあたりに仕事に行っていた気がするけど
どこだったろう。

ひとりでも多くの人が助かりますように。


2010年1月12日火曜日

カリブの海賊

クリスマスから年末にかけて、ベンの家族といっしょに
カリブ海の米領ヴァージン諸島・セントジョン島に旅行に行ってきました。
海のそばのヴィラで1週間ほどのんびり・・・。

という、新婚旅行か!という日々を過ごしてきました。
あー、夢のようだった・・・当分の間、こんな旅行はないだろう。
ちなみにヴィラの名前が「Dream House」だった・・・ちょっと笑ってしまった。

やたらと写真をとったので、これからしばらく
1日ずつ思い出して日記を書こうと思います。

12月25日のトランク・ベイ。
トランク・ベイはよく絵ハガキに使われる、白い砂のビーチです。
ちょっと雲行きがあやしいけど、海はキレイでしょ。